8日、文化祭の後夜祭が台風15号「ファクサイ」の接近に伴い中止となった都立立川高校。その中止の決定に至ったプロセスについて、同校生徒から様々な声が寄せられている。


 ある生徒は、福原副校長の「教員と生徒の間で十分に話し合いが行われた結果、生徒側が納得して後夜祭の中止に合意した」 という見解について、「何故か私は知りません。私が見たのは説明の皮を被った犬の喧嘩」と評している。この生徒は立川高校内の情勢について「一般生徒はおろか、後夜祭実行委員の中でさえ、後夜祭中止(延期されない)の理由をほとんど把握していない状態」だったと伝えた上で、「(教員側から)何らかの説明があることを期待していた」という。しかし教員側から説明はなく、配られたプリントを教員が音読するだけで集会は終わりを迎えようとしたという。その時、ある生徒が後夜祭に関する説明を要求したため、そこで実行委員と担当教員がそれぞれ説明をしたという。その際、「教員と生徒の間で十分に話し合いが行われた」形跡はなく、犬の喧嘩のような光景が繰り広げられたのだという。

 一方で別の生徒は「後夜祭中止については立高内でも様々な立場があります」と生徒の意見が一様ではないとの見解を示し、記事について「教師対生徒の二元論的問題に還元することは明らかに誤謬」と指摘した。この生徒は「これは学内の問題であり我々の学校のことは我々が決めていくのが道理」と述べ、「記事により立高の自由主義伝統が傷つくことを私は恐れます。」と懸念を示した。

 また別の生徒は「先生たちの意見の中心はあくまでも生徒たちの身の安全であって、後夜祭を潰そうとしていたわけでは無い」と述べ、「後夜祭担当の先生はみんなが思っているよりも生徒のことを考えてくれていることは担任だった経験がある生徒からすれば容易に想像できるはず」と教員側を擁護した。

学内問題だとする見解は正しいが…
 今回の立川高校の生徒たちが本紙記事のコメント欄で多様な意見を示してくれたことは非常に嬉しく思っている。今回いただいたコメントは全て拝見させてもらっているが、微妙に論点が違うような気がするので整理したい。記事の論点は学校側と生徒側で十分な合意形成がなされていない状態で後夜祭が中止されたことであって、本紙がこの問題を取り上げたことではない。

 コメント中、「これは学内の問題であり我々の学校のことは我々が決めていくのが道理」と述べていた生徒が居た。言ってることは正しいと思う。しかし記事が出たことを理由に自由主義的伝統が傷つくことを恐れたり、告発した者が学校側からただでは済まないというような脅し文句を言うのは間違っている。

 生徒自治が確立されており、学校側が一方的な形で物事を決めて押し付けるような事例がなければ、学校内だけのクローズドな形で問題を考えていくべきだと思う。しかし現在、大学含め学校の生徒と教員のパワーバランスは著しく教員の方が強い状態であり、各校の学内新聞や生徒会・自治会組織が機能していない現状がある。本来的に、本紙がやっていることは各校の学内新聞が担うべきものだ。しかし学内新聞が学校の広報紙としてしか機能しないこの時代では、本紙が学内新聞の代わりを担うほかないのだ。

 また、生徒自治組織が教員組織と互角以上にやり合える存在ならば、そもそも学内で問題解決が図れるはずであり、本紙に情報提供がなされることはないはずだ。立川高校は生徒自治組織が相対的にしっかりしていると聞いているが、「闘争心」が不十分であるのは否めない。本紙が取り上げたことによって学校側が自由への規制を強め、「立川高校の自由主義的伝統が傷つく」ならば、自由主義的伝統を守るために生徒たちが立ち上がれば良いじゃないか。「大ごとになったら自由が失われる」という恐れは日和見でしかない。そもそも自由は常に闘わなければ守れない。

 後夜祭をどうしてもやりたいのであれば生徒が授業ストライキをしてでも要求を通すべきだ。重点校生は自分の経歴を汚したくないのか何なのかは知らないが、本格的に闘うことを忌避する傾向にある。「誰か闘ってくれ」ーそんなマインドでは何も変わらない。今の学校が嫌なら自分で闘って道を開くしかない。日和見主義でいる限り、生徒の要求は通せない。権利は闘って得るものだ。上から下りてくるものではない。

(編集局/論評=平松けんじ)

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