大阪府寝屋川市議会は、先月17日、市長にいじめを行った児童への出席停止などを勧告する権限などを与える、「子どもたちをいじめから守るための条例」を可決した。条例施行は1月1日付。


 同条例では、市長に関係児童・保護者への聞き取り調査を行うことや、いじめを行った児童に訓告・別室指導・出席停止などの処分を行うよう勧告する権限が与えられることとなっている。

 これに先立ち、市は昨年10月17日、いじめ問題に初期段階から対応する「監察課」を設置している。同課は広瀬慶輔市長の肝いりで設立された部署で、弁護士資格を持つ職員やケースワーカーなど10人体制で業務を行っている。

「教育的アプローチの限界」
ISJ寝屋川市監察課スライド資料3
寝屋川市のいじめ対応(市提供資料より)
 市は、全国で繰り返されるいじめ問題について、学校現場での児童生徒からのSOSの見逃しや、初動の遅れから問題が長期化・複雑化しているとし、「教育的指導の正しさを追求すればするほど問題に陥る可能性」を指摘し、これを「教育的アプローチの限界」と定義した。その上で市はこの「教育的アプローチの限界」という視点から新たなアプローチとして「行政的アプローチ」と「法的アプローチ」という概念を導入し、市長部局である「監察課」がいじめ問題への対応を担う方針を打ち出した。

市長部局「監察課」主導でいじめ問題に対応へ
 市監察課の西岡氏は「教育的アプローチの限界」について次のように指摘した。
「学校側が注意し、見守りをしている中でも、教員の目の届かないところでいじめが継続され、表に出たころにはすでに重大化しているケースがある」
「学校現場では被害児童も加害児童も指導される対象であることから、見えないところでの問題の解決ができなかったり、対応が遅れたりという可能性がある」
 そこで市は、いじめ事案の発覚当初から市長部局である監察課がイニシアチブを握り、加害生徒や被害生徒からの聞き取り等を行う「行政的アプローチ」を導入したのだ。学校側が把握したいじめについては、これまで通り初期対応を学校側が担うものの、監察課に情報が提供された場合は、監察課も調査等を行う体制となる。一方で、監察課に直接いじめの通報・相談が寄せられた際は、監察課が最初から動くという。
 
 そして監察課が調査した結果、いじめ事案が明らかになった場合は、加害生徒に対し、教育委員会を通じていじめの中止を指導・勧告するのだという。

 また、「行政的アプローチ」でもいじめが是正されない場合は、市が被害生徒側と警察官を繋いだり、弁護士に相談する費用や文書の作成費用などの補助を行う「法的アプローチ」に移行するという。

既に300件の「監察」を実施中
 寝屋川市の広瀬市長は、自身のTwitter上で、昨年度分の「いじめと認知されたケース」172件と今年度の128件について、監察課が被害児童・加害児童双方から直接確認による監察を進めていると明らかにした。そのうえで広瀬市長は、「すでに”終結”が確認されたケースが246件」「教育的アプローチで対処可能なケースと判断した事案が51件」「監察課による行政的アプローチに移行した事案は3件」と報告している。

 また、広瀬市長は、監察課の職員に対し、「寝屋川市が新たな”処方箋”を出すことができれば、それは本市の子ども達を救うだけではなく全国の現在・将来の子ども達を救うことに繋がる」と強く伝えたという。

首長部局が介入する事態を招いた教委の無責任
 現在、各地で学校での「いじめ」や「体罰」を理由とした児童の自死が後を絶たない。そしてそれに対する教育委員会や学校の対応は隠蔽や誤魔化しなど、被害児童に対する人権侵害を回復するものではないのが実情だ。そのような中、隠蔽と誤魔化ししかしない「教育委員会制度」の在り方が強く問われている。寝屋川市の「監察課」の取り組みは、学校現場で発生する「いじめ」や「体罰」など、児童生徒の人権を侵害する事案に首長部局が介入していくことで問題解決を図る斬新なモデルだと言える。しかし、市長部局が「いじめ」への対応を行わなければならないというのは、教育委員会制度そのものが自浄作用を失い、破綻していることの証左ではないか。

 学校現場では「体罰」と称する教員による暴力行為、生徒・教職員へのハラスメント、部活動全員顧問制、教職員の超過勤務などなど一般社会的に言えばコンプライアンス違反も甚だしいことがまかり通っている。我が国は民主主義の法治国家であるはずなのに、その素養を身に付けるための「学校」という場で無法・脱法行為がまかり通るのはあってはならないことである。しかし一部の教育委員会は、「教員ムラ」の非常識な常識の下、教育行政を行い続けている。こんな伏魔殿を作るために国民は教育委員会制度を受け入れたわけではない。お飾りの地域の名士たちが「教育委員」をやるのではなく、保護者・児童生徒など教育行政を受ける当事者が教育行政に参加していく新たな教育委員会の在り方を模索していくべき時が来たのではないだろうか。
(平松けんじ)