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 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大の影響で長期化した臨時休校。6月になり緊急事態宣言解除も踏まえ、全国の学校は徐々に再開し始めているが、失った3か月は非常に大きい。教員の皆さんも必死に子どもたちの「学びの保障」のために奮闘していることだろう。今回、「9月入学」導入論が急浮上したことを踏まえ、ISJ(The Interschool Journal)では9月入学の導入是非について、児童生徒、保護者、教員の皆様にメールでの論文投稿を呼び掛けた。ありがたいことに賛成派・反対派ともに濃い内容の論文が集まったので、本欄で全文をお伝えする。政策決定にかかわっている方々には賛成論・反対論両方の意見に是非目を通していただきたい。

【9月入学賛成】
8時間&土日授業・休み短縮で復習時間が大きく不足
(群馬県/17歳女性)
まず、私は9月入学に賛成です。
私の地域ではオンライン授業が行われていません。
そして、8時間授業、土日授業、夏休み冬休み短縮では、復習する時間が大幅に減ります。
試験を2週間〜1ヶ月伸ばすとありましたが、その期間はあくまで春休みを短縮した期間です。
そして、失った3ヶ月を最低10日間で補えるとは到底思えません。
そこで、提案として6年生の1.5ヶ月案が良いと思います。
未成年児の大切な人間性を形成する土台の期間に巻き込まずに済みます。
そして、9月入学になった事で、学校で学ぶ期間が増え、
共通テストに挑む期間が増えます。
また、英検や数検、漢検も中止となりました。この案は、
学生や教員達を救う案となります。
また、未成年児(※原文ママ)にも後々メリットが増えます。
どうか、今一度考え直して頂けないでしょうか?
よろしくお願いします。

対策をとっても感染爆発防げない。オンライン授業のデメリットなど。
(東京都/高3男性)
私は9月入学に賛成です。
先日、北九州の小学校でクラスターが発生しました(※)。その小学校はどの程度のコロナウイルス対策を取っていたか知りませんが、何もしていなかったわけではないでしょう。対策をとっても防げないことがあるのです。もし、これから東京でこのようなことが起きると感染爆発は必至です。しかし、現状ですと学校を休校には出来ないでしょう。カリキュラムを全てやろうとしているなら今年度延長をし学校を休校にしやすくすることは大事だと思います。児童憲章には子どもは疾病から守られると書いてあるのでそれを実践するべきだと思います。
 次に夏休みです。夏休みは部活や課外活動で成長できます。そのチャンスを無くすのではなく縮小することができるので成長できます。真夏の登校も熱中症などで危険です。
 次に、高校でクラスターが発生した場合です。電車通学をする高校生も数多く存在します。その時に無症状の高校生が満員電車に乗車した場合はさらなる感染を招くことになります。また、電車内だと濃厚接触者も増えて二次感染や三次感染を引き起こすことになりかねません。また、家族内感染が広がるということも想定されます。
 次に、オンライン授業です。多くの人がオンライン授業をすれば大丈夫だと思っています。私自身がオンライン授業を受けた中でのデメリットをいくつかあげます。授業のペースはダウンします。なぜなら、40人の理解度を把握するのは難しく1人1人の対応が難しいからです。2つ目は50✖️6の授業を想定しているなら画面の見過ぎで集中力が切れてしまったり目が疲れてしまいます。それにともない視力低下もあるかもしれません。また、全てをオンライン授業でやると言うことは出来ません。体育なんかは集団のなかで学ぶことが多いと思います。それから、現時点からオンライン授業を、始めた場合詰め込むことがあります。詰め込んだ授業だと分からないまま先に進むこととなり学力は低下します。範囲を削る案がありますが小学校と中学校は義務教育で社会に出るために最低限のものだと私は考えます。最低限のものから削る場合は最低限という基準を下回ることになり、人生において損をすることになります。
次は大学共通テストです。現時点で地域に差が出ているのは事実です。大学は東京の大学に入る人も多くいるため地方の方が有利になります。また、テストの範囲を削ることは過去問がなくなるということになります。入試は傾向と対策です。それが出来なくなれば勉強に支障をきたすでしょう。さらに、今年は英語入試で英検を採用している所があるそうです。現在コロナウイルスの影響で英検は行われていません。これは受験に直結します。インターハイや甲子園を終えてから受験をする場合あと一回しかチャンスがなくそれが行われるか分かりません。スポーツ推薦が受けにくくなった状態では困る人は多くいます。
次に、受験当日です。受験ですと味覚障害だけなら会場に行く人がいるのではないでしょうか?例年季節のインフルエンザでも行く人がいます。症状が出ているのに診察を受けない人もいるのではないでしょうか?また、1次試験でクラスターが発生し2次試験を受けられない事態も有り得ます。その観点から比較的ウイルスのすくない6~8月に実施出来るのがいいと思います。また、入試を今年や来年は1月と6月の2段で構えて感染が抑えられている時にやるという対応も必要だと思います。

国民の権利として失われた時間の保障を
(東京都/音楽科/高3女性)
私は9月入学に賛成です。

理由は大きく分けると
・私個人の感情
・「いつか9月入学にするならなぜ今ではダメなのか」という想い
・「9月入学を求めることは国民としての権利だと思うから」という考え

の3つです。

まず「国民の権利だと思うから」というところです。私たちが教育を受ける権利は憲法に記載されています。ですからどんな理由であれ「国の意思」で3ヶ月の間も教育を受けることが出来なかったことは、言葉は悪いですが言い換えれば教育を受ける権利を侵害された。と言えると思うのです。私はその時間の補償として9月入学を訴えたいのです。

また同じく時間の補償として「夏休みを短縮して時間を捻出する。」という考えが政府には出ているようです。それに関して私は受験生という立場で強く反対します。

受験生にも様々なタイプがいます。しかし元々夏休みが塾や勉強で埋まっている。という学生は少なからずいると思います。そういった学生に対して夏休みも学校を開く、というのはむしろ邪魔になるのではないでしょうか。

また、これは私個人の状況になりますが、私は音楽科に通っています。なので夏休みは音大受験に向けて志望する大学の教授に師事したり、ゼミのために地方に行ったり、その上で専攻にもよりますが最低でも1日3,4時間の練習をします。学校があると忙しくてなかなか練習や技術の研究に熱中することができません。しかし学校のない夏休みは自分の思うように実力を伸ばせる期間なのです。夏休みに実力を伸ばすという意味では普通科も同じだと思います。その時間を削ることが本当に学生のことを考えていると言えるのでしょうか?

また受験では基本的に浪人生も一緒に受けます。
芸術系は浪人生が多いので特にだと思いますが、受験で浪人生と競わなければならないのに3ヶ月もの間授業を受けられず、その上自由に時間を使える夏休みも削られ。というのはあまりに酷なのではないでしょうか。

しかも夏休みや冬休みをいくら削っても3ヶ月という時間には遠く及ばないというのは自明の理です。夏休みや冬休みを削ることは断固反対です。

政府は9月入学を見送る理由に「待機児童が半年分増えること」と「教育現場の混乱」をあげています。

しかしこれらの問題は9月入学をいつ導入しても直面する問題だと思います。また、「学生を第一に考えて」と首相を初め閣僚は発言したと記憶しています。見送りの理由が直接「学生のためにはならない。」というのなら分かります。しかし「実現が難しいから」というのは姿勢として学生第1とは言えないと思います。

最後に私に行き場のなかったこの3ヶ月の想いをここに吐露させてください。私は音楽科の生徒です。

たくさんのコンサートが潰れました。やりたかった。沢山の楽しみにしていた行事が潰れました。言いようのない悲しさがあります。私には尊敬する先生方がいます。レッスンを受けたかった。

私は学びました。どんなにごく普通の学校生活が、友達と会えることが、授業を受けられることが楽しかったか。また幸せなのか。

正直私はコロナが憎いです。青春なんて大層なことはいいません。しかしこの時間は二度とかえっては来ない。もちろん、私はこの期間でも練習も勉強も出来るだけやりました。夢がありますから。その結果演奏は上達しました。学力は分かりませんが、しかしそれらを差し引いてもあまりあるほど、私はこの期間、やはり学校で友達と学び、たくさん話し、行事をこなして思い出を作りたかった。と強く願っています。

9月入学という制度はそう思う私にとっては希望の光なのです。
私は9月入学に賛成します。

【9月入学反対】

9月入学論に終止符を打ち、コロナ再燃への備えをフルスピードで
(千葉県/未就学児の保護者・35歳女性)
始めに、私は未就学児の親であり、就職氷河期の産まれであり、派遣切りにあった。また、九月入学には反対の立場であることを明記しておく。
今回の九月入学をめぐる一連の出来事に振り回されている一人である。最初にこの話を聞いた時、実現可能とは思わず聞き流していた。素人が考えただけでも多くの課題がある。それが、どうやら議論が進められているらしい。導入にあたっての案が発表された時は度肝を抜かれた。全員が一律5ヶ月留年するなか、未就学児であるこどもたちは時間を7ヶ月奪われ、半分は上の学年へ、半分は下の学年へ。9-8月生まれへの変更のため学年分断、世界との一年の遅れのため「未就学児で調整」するという。
幼児はまだ学んでいないから、覚えていないから、こどもは順応性が高いから、大丈夫。
学生の学びの方が大事だから、受験生が大変だから、行事ができなくなってかわいそうだから。そう言われて、はいそうですかと子供を生贄にさし出す親がいるだろうか。
全員この3ヶ月学びを失った。未就学児が学んでいないというのは違うと断言できる。これは幼稚園団体や教育学会の方が出している論文や提言を見てほしい。

毎日寝顔を見ては涙する日々が続いた。今年の行事はすべて中止。もちろん来年もわからない。しかしこの子はその来年、行事を行うチャンスすら与えられないのだ。何かがおかしい。しかしこの叫びがテレビで取り上げられることはほとんどなかった。そのため周りでも、きちんと理解している人間は多くなかった。偏向報道の意味を、身をもって知ることとなった。
そもそも待機児童問題、待機学童問題、小1の壁、職員不足、教科書問題、教室の不足、教員の採用試験が1.0倍になることの教育の質の低下。そういった解決案を出すことは一切ない。また同じように九月入学にした場合のカレンダーも出ていない。大学、高校、小中、公立私立も含めて行うことが可能なのか、具体策も出ていない。まだ案の段階だからと言えばそれまでだが、この案が検討されている、しかもかなりの時間をかけて。それがすでにこどもの人権侵害であり、保護者の不眠の種なのだ。

そしていつの間にか話がグローバル化にすり替わっていた。学生救済案のはずが直近の導入が見送られる、再来年度、などなど様々なニュースがとびかった。いつまでやっているのだろう。今の学生を救済するためでなければますますこのような短絡的な考えて導入するべきではない。それよりやることがあるだろう。学生、教職員のため、九月入学に6-10兆円予算を使えるなら、これからの学びのためにつかえばいい。オンラインやオフラインでのデジタルコンテンツを導入し、いつコロナが再燃しても学びを止めないようにしなくてはならない。また、行事についても感染対策をしながらぜひ行ってほしいとも思う。
そろそろこの議論に終止符を打ち、「フルスピード感で」考えてほしい。

賛成派反対派、この構図が生まれてしまったことが本当に悲しいし、残念に思う。失くしたものを取り戻せるかもしれないという誘惑は誰でも我慢できるものではない。そして社会の構造を変えることは身近なところで言えば家族計画、保活、受験や進学にかかわってくることである。ひとつの発言が大きな影響をもたらすことがある。この案がいつどこでまた再燃するのか保護者はまだ不安の中にいるのだ。この議論は続いていくだろうが、この対立構造や混乱をもたらしたこと、発言した著名人や公人は自覚してほしいと思う。

最後に、寄り添っていただいた議員の皆様、志を共にした仲間、家族へ感謝申し上げたい。

9月入学で追いつめられる小学校教育と幼児教育、そして家庭内の子育て環境
(愛知県=未就学児の保護者・女性)
1 はじめに
 新型コロナという混乱期に便乗して浮上した、軽率な9月入学案に反対している。現状で強行したとして、現場が更なる大混乱に陥る事は明らかだ。新型コロナで教育の保障までもを失わなくてはならないのか。

2 九月入学によって失われる幼児教育期間と、それに伴い拡大する学級崩壊の問題
 小学校の授業参観に行って衝撃を受けた事がある方は多いのではないだろうか。一部の子供が教室の後ろで走り回り、寝ている子、おしゃべりに夢中な子、期待していた授業風景とは全く違う現実に、ショックを受けたと話す親は多い。これは地域格差等ではなく、わざわざその学区内に転居をする親がいる程の公立小学校でも起きている話だ。

 教育現場では学級崩壊が問題となっている。学級崩壊が起こると二次障害的にいじめや不登校も多くなる。教員は何をしているのかと言うと、参加できる子どもだけを対象として、あとは放置をしている状況が多い。
 授業を集中して受けられない子ども達は加害者ではない。むしろ貧困や病弱等、何らかの環境的な要因で、適切な期間に幼児教育を受けられなかった場合が多いと考えられる。発達障害が原因の場合もあるかもしれないが、発達に遅れがあった場合でも早期療育を行う事で、集団生活に適応が可能なパターンもあり、同じく就学前の対応が重要となっている。

 九月入学はそう言った現状の大問題を無視している。幼保無償化。これの意義を問えば九月入学など考える余地もない。文科省によって「人間形成の基礎を培う」と明言される、幼児教育の計画を破壊するのだから。

3 九月入学によって起こる負の連鎖
 九月入学によって義務教育のスタートラインである小学校1年生が負の連鎖に巻き込まれる。それは保護者も同様だ。本来であれば順風満帆な小学校生活に送り出せる筈だったのに、母親は授業中に動き回る自分の子どもを監視するために、学校に付き添いを要求される。(現状、支援員の制度はあるが各学校に1名〜数名程度の配置なので当然追いついていない)同級生の保護者が毎日教室の後ろに立っている、それが全うな環境と言えるのだろうか。
 そして飛び級対象の生まれ月ではなかったとしても学級崩壊には巻き込まれるかもしれない。さらに新0年生案と言われる九月入学が始まった世代は人数が1.4倍に増加する。これは受験や就職において倍率が上昇する事で激戦世代となる事が想像に容易い。
 幼児教育だけではなく義務教育やその先の未来までを脅かす新0年生案。ゼロとは破壊のゼロに他ならない。

4 九月入学によって追い詰められる家庭環境
 人数の調整だけを考慮し出された案が13ヶ月案だが、13ヶ月案は前述の問題に加え、飛び級する幼児が極少数に限られる事だと考える。その負を背負った親子はどうなるか。まず親は自身の子ども”だけ"が教育を受けられず進学した事で、危機感とコンプレックスを持つ可能性がある。追い詰められ、焦るだろう。「教育格差」と言う言葉が頭に浮かぶ。そして余裕のない中でストレスが生まれる。その苦しみは子どもの家庭環境に悪影響を及ぼす筈だ。
 且つ母親は幼稚園時代に積み上げた、既存のコミュニティーから引き剥がされ、孤独との戦いとなる。虐待の原因の一つとして母子の孤立化、家庭の孤立化がある。13ヶ月案は焦りと孤独に追い詰められる親の存在を、ごく少数だからと無視している非人道的な案である。

5 九月入学を廃案に
 よって九月入学はどの案も現段階ではあり得ない。直ちに廃案とし、2020年度教育改革にも含まれている幼保無償化による幼児教育の保障を確率するべきだ。そしてこの改革の目標とする「主体的・対話的で深い学び」が達成され、本質的なグローバル人材が育つようになった後日、初めて検討するべきだろう。果たしてその頃「9月がグローバル」等と言う、前時代的な発想に耳を傾ける人がいるかは、別として。

グローバル化を目指すなら大学の通年入学制を
(埼玉県=未就学児の保護者・35歳女性)
九月入学の導入については、反対の立場を取る。

理由については主だって二つある。一つは費用に対してデメリットが多すぎるということ。二つ目は教育のグローバル化を目指すのであれば、大学は九月入学ではなく通年入学制を目指すべきであるということだ。

九月入学の移行へは最低でも実に六兆という費用が掛かると算出されている。教育現場での実際の対応、大学の経営計画、子育て世帯の負担、企業の採用スケジュール(日本の新卒主義は今しばらく続くでしょう)など、様々なところに影響を及ぼす。

それだけの費用を投じてでも九月入学へと移行すべき、という合理的なメリットが、私としてはどうにも見当たらない。グローバル化を唱えるなら、大学にいつでも入れるように一年中門戸を開け、オンライン学習を主としながら学生一人一人のペースに沿って学びを得られる場として大学は改変されていくべきだろう。(そもそも、アフターコロナにおいてはグローバリズムと新自由主義について、是非を再考した方がいいという指摘もある、ということを一応付け加えておく)

上記、コスト・メリット&デメリットの観点から私は九月入学には反対の立場を取る為、当然、今九月入学を導入するなどとんでもない、という考えに至る。

現在の就学児への学びの補償については、第二波第三波に備える為にも、多くの人が言うように、やはり学習内容・科目一部削減とICT教育へのシフトにて対応するしかない。

実技科目など、オンライン学習でもフォローしきれない部分は当然存在する。しかしながら、災害大国である我が国は、七〇パーセントから八〇パ―セントの確率で起こると予想されている南海トラフ地震などによって、子供たちが長期休校を余儀なくされる局面は今後も出てくるはずである。そのたびに今回のように入学時期をずらすのか、という論議が起こって混乱が生じるのは望ましくない。オンライン学習で、インプットだけでも出来る環境を整えておく方が、今後の長期的な教育行政を考えればプラスになる、というのが私の考えである。例えば今回、熊本市は二〇一六年四月の熊本地震から教訓を得て、様々な教育・学習支援をオンラインにて行えているという実績がある。こうしたモデルに倣い、各自治体は一刻も早くICT教育の整備を進めるべきだし、また概算にして六兆もの大金を九月入学に使うのなら、ICT教育に充当した方が、後々の費用対効果は遥かに大きいと言えよう。

オンライン環境のない家庭については助成金やタブレットとWi-Fi機器の貸与を行い、また種々の事情により、それでも家庭内での学習が難しい子供には、希望に応じて学校のパソコン室を開放するなどの方策も講じる必要がある。

最終学年には受験という問題があるが、これは試験の実施時期を可能な限り遅らせることと、出題範囲を対面での学習が全員に確保されている二年生二学期までとすることで対応すべきだ。試験会場における感染拡大については、試験実施日と入学日を一か月程遅らせ、入学後の長期休みの日数などで調整していく方法もある。また、AO・推薦枠の拡大も必須となるだろう。

とかく、論議にも実施にも長い時間を要する九月入学と、喫緊の課題である現在の就学児の救済については、分けて考えるべきと断言する。恒久的な九月入学へのシフトなどとは、ある種のショック・ドクトリン的に導入するような性格のものではないのである。

無理をおしてでもやる、とただ言うのは簡単だが、政治は確かかつ現実的なプランニングと、その実行によってしか成しえないということに、我々は今一度立ち返るべきと言えるだろう。

集後記
 今回の論文募集。予想外に皆さんの切実な声が多く、掲載する論文の選考に時間がかかってしまった。コロナ禍という異常事態の中、賛成派・反対派いずれも追い込まれた状況にあることには変わりがない。正直拝読していて辛い部分がないと言えば嘘になる。私は高校を6年間かけて卒業したが、いかに恵まれた環境にいたか、「学校に行ける」という当たり前がいかに大切なものだったか…。「欠席時数32まではサボっちゃえ」とかやっていた2016年までの私に今の学校教育を見せたらどう思うだろうか。

 正直な話、そもそも出発点は今の学生の「学びの保障」「時間の保障」だ。「学びの保障」「時間の保障」という目的のための「手段」として9月入学論が浮上したのだろう。「グローバル化」を考える必要性など元々皆無だった。それはコロナ終息後ゆっくり議論すればよかったのではないか。今回掲載論文には選出しなかったが、ある中3女性は「グローバル化はあくまでもおまけなので今年度もしくは来年度に九月入学を導入せずに何年度に九月入学導入なら反対」と意見を寄せてくれた。まさにおっしゃる通りで、今年度や来年度のような直近に9月入学を導入しないなら未来永劫やる必要はない。グローバル化崇拝主義者たちは未来永劫隠居していただきたい。今、政治がやるべきことは「グローバル化」なんかじゃない。今の子どもたちの学びをどう取り戻すか、それも「無理なく」取り戻すかだ。
(ISJ編集長=平松けんじ)

※おことわり※
〇募集の際、氏名をお書きいただくようお願いしておりましたが、仮名・匿名を希望された方が予想時以上に多かったことなどから編集上の判断により属性・年齢のみ記載という形に改めさせていただきました。ご了承ください。
〇本紙掲載にあたり論文のタイトルを編集局で追記させていただいております。予めご了承ください。趣旨が違う等ございましたら本紙編集局 interschooljournal@gmail.com までお知らせください。適時投稿者様の希望するタイトルに変更いたします。


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