平松けんじ
若者の声を政府や国政政党に届ける活動をしている若者団体「日本若者協議会」が、1月28日、文部科学省に「学校内民主主義に関する提言」を提出した。同協議会は昨年8月に会内に「学校内民主主義を考える検討会議」を設置し、高校生と大学生が議論を進めてきた。
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提言では児童生徒にとって身近なコミュニティである学校の場が自身の意見を尊重する民主主義の実践の場になっていないことが、「若者の政治離れ」の未解消の大きな要因の一つと指摘している。同協議会は提言で、▽文科省が教育委員会・学校に対して校則改正プロセスの明文化を求める通知を出すこと、▽主権者教育の手法に学校運営への生徒の参加を含めること、▽生徒会活動に関する副教材の開発・全校配布、▽生徒会活動・校則の実態調査など9項目を文科省に要望した。
「生徒なんだから」「高校生らしさ」の一言で無視される生徒の声
同協議会が昨年11月に行ったWeb上でのアンケート調査では回答者779名のうち、約70%の児童生徒が児童生徒が声を上げても学校は変わらないと回答したのだという。同協議会は次のような児童生徒の声を紹介している。
「(生徒会の)候補者が何度も校則を変えると言ってきたけど、変わったことはない」
「どうしても変えたいという要望を持ち、声をあげたとしても、『それはしょうがない。生徒なんだから』とまるで取り合ってもらえない」
「校則だからと提案を聞き入れることを拒む」
「一切の無視、又は教師側の気にくわない要望であれば放課後の居残り反省文が待っている」
実際、ISJの取材でも生徒会の総意が学校側に無視される事例が明らかになっている。都立北園高校では「髪染め」を規制しようとする学校側に生徒の不満が高まり、生徒会が山下康弘校長と直接交渉を行った。しかし学校側は「学校として適切でないと判断したものについては指導する」という従来の方針を繰り返したという。また、北園高校では「髪染め」規制反対派の生徒会長候補の選挙公報の内容を問題視した副校長の指示で、候補が呼び出される事態も発生した。
弁護士会からも「人権侵害」指摘相次ぐ
校則のあり方をめぐっては昨年以降、各地の弁護士会から「人権侵害」と指摘が相次いでいる。福岡県弁護士会の調査によると、ある中学校では「違反している下着を学校で脱がせる」という人権侵害の規定が存在するという。さらに頭髪に関する校則違反者に対して「教室に上げない」「別室指導」「染髪させる」「学校で黒く染めることもある」「ゴムやヘアピンの色が違う場合は没収・交換」などの指導もあり、同弁護士会は「規制自体に必要性合理性がないにもかかわらず、違反した場合の指導の内容も過剰なものが多く人権侵害」と結論付けている。このほか生徒からのヒアリングで、▽男子生徒もいる中、体育館や廊下で女子生徒のスカート丈や下着の検査、▽掃除や草刈りなどのペナルティー、▽泣いても1時間半立って説教するなどの「指導」が明らかになった。しかもこういった校則の策定プロセスに生徒の関与の余地はないという。
教委主導の見直しも進む
教育委員会主導で見直しが進んでいるところもある。2019年6月、岐阜県教育委員会は、県立高校全63校に対し、▽下着の色を指定する、▽外泊や旅行に学校の許可を得るよう求める、▽団体加入・集会参加・政治活動の規制などの校則を削除するよう指示。該当する高校が県教委の指示を受けて校則の該当部分を削除した。
また、熊本市教育委員会は、学校改革の一環として校則や生徒の指導のあり方の見直しを進めるための動きを進めている。昨年、同市教委は現状把握として生徒や教員にアンケートを実施。アンケートでは「各学校で子どもたちの意見を聞いているかとか、子どもたちがどれくらいかかわっているか」も調査している。教職員のみで校則を作成、検討、決定している学校が115校にのぼった。市教委の楳木敏之教育審議員は「子どものころからルール作りとかそういうルールを守るとか練習や経験をしていくということが、大人になってその次の民主主義の担い手になっていくために大事じゃないか。一人一人が社会の主人公であるというような意識をやっぱり持たせていくということが必要。」という教育委員からの発言があったことを明らかにした。
ただ一方で教育委員会や学校によっては取り組みに消極的と言わざるを得ないところもある。東京都教育委員会の藤田裕司教育長は、都議会でツーブロック禁止の校則について問われると「外見等が原因で事件や事故に遭うケースなどがあるため、生徒を守る趣旨から定めている」と消極的な答弁に終始した。
校則改正 文科相「先生、保護者、学生が共鳴するような活動で」
動画=萩生田文科相(9日、東京・霞ヶ関の文部科学省=平松けんじ撮影)
文部科学省は、校則の改正に児童生徒の意見をどの程度反映していくべきだと考えているのか。
萩生田光一文科相は、9日の会見でISJの質問に答え、「声を出して行動起こしてみるということは学生の皆さんにとっても貴重な経験だと思う。先生や父兄や学生の皆さんも『なるほど』『その通りだ』という共鳴をされるような活動の中で、校則を変えていくことは民主的にあっても良いんじゃないか」との見解を示した。
一方で、萩生田氏は「(制帽を制定している学校の校則について)帽子を作った時に、学校の建学の精神があったみたいなことがあるとね、学校ごとの価値観というのがあるのだろうと思っている。そこに文科省が口を挟むという性格、建付けになっていない」とも述べ、文科省が設置者(自治体や学校法人)の価値観を尊重せずに介入していくことに消極的な考えを示した。
人権侵害「校則」「指導」を放置して良いのか
昨今の下着の色やら髪型やらを子細に規制していく管理主義的な校則の運用は明らかに人権侵害だ。いくら建学の精神があろうと、明らかに人権を侵害しているような校則・指導を放置して良いのか。学校・教員側が児童生徒の人権というものを踏みにじるような運営を継続している以上、文部科学省が例えば校則や指導のあり方について具体的にどの範囲まで許されるのか明確にガイドラインを示していくべきだろう。そして強い姿勢で「人権侵害にあたる指導は許さない」というメッセージを発信していくべきだ。
学校で身近な「政治離れ」を強制されてきた
若者協議会の提言でもあったように主権者教育の一環として児童生徒が学校運営に参加していくということは重要な取り組みだと思う。児童生徒にとってもっとも身近な「社会」は「学校」であり、「学校生活」はもっとも身近な「政治問題」だ。例えば「給食のメニューをもっと美味しいものにしてほしい」というのは小学生にとっては切実な問題だ。不味い給食を食べさせられたんじゃ、完食する気が起きないし、給食の時間が苦痛に感じられてしまう。半分腐ったような味のするシシャモを食べる羽目になったことがある当時の私からすれば切実な問題だった。しかしこういった身近な「生活問題」=「政治問題」に声を上げることを認めてくれない今の学校教育のあり方で、生徒たちが果たして「政治を変えられる」と思えるだろうか。
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